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17. あめのうずめの命


18-IMG_0798.jpg   
   猿田彦神社にある佐瑠女神社の例祭から

東京から伊勢へくると、天照大神様のお膝元だからか、太陽がより近く、強い陽光がまっすぐ照りつけてくるような気がしてならない。そのため夏場の日中の伊勢神宮はご遠慮させていただき、近くにある猿田彦神社の「佐瑠女(さるめ)神社」の例祭へ出かけた。

佐瑠女神社のご祭神は天宇受売命、そうあの、あめのうずめの命である。天照大神が天岩戸にお隠れになり世界が闇に閉ざされ地上に悪い神さんたちが跋扈しはじめたとき、岩戸の前で狂喜乱舞して八百万の神さんたちを喜ばせ、その賑わいに天照大神も岩戸からお出ましになり、ありがたや、陽はまた昇ったという、あの踊りの名手である。

そのあめのうずめの命のお祭りとあって全国各地から奉納提灯が寄せられて境内は何日も前から賑やかな装いだ。その下で、巫女さんたちが豊かな胸も露わにあめのうずめの命さながらの踊りをしてくれるのか、と買いたての重いズームレンズをもって馳せ参じた。

まずは、色香が匂うのはこれからといった様子の巫女さんたちが固い表情で、神前にジャガイモやにんじん、桃、海の幸、お神酒などをお供えしていく。宮司さんが榊を捧げて、祝詞を奏上すると舞姫さん二人が登場。いよいよかとカメラを握り直す。それにしても、白着物の襟元の重ねがきつ過ぎる。豊かな胸も窮屈そうだ。これじゃあ脱ぐのに手間どるだろうにと気を揉んだが心配ご無用。襟元を緩ませることもなく、小菊の花束を手に清く、正しく、きっちりと神楽を舞い終えた。

次には、古事記に出てくるという二弦の琴を再現した八雲琴が演奏され、境内にゆったりもったりとした音が流れ、ずうっと昔に色気があったかもしれないおばさま二人が水色のロングドレスに模造真珠一連を頭にまいたお姿であめのうずめの命のお歌を歌うと、ハーフの若い女性二人が鮮やかな水色の上衣に紫色のパンツ姿、手には金色の長い鈴の棒といったお姿で登場。なにやら曰くありげだ。しかし、こちらもまたひっそりと静かな舞い。他にもいろいろ儀式があって、最後に神職さんが中腰になるや、ウォーッと吼えるようなお声を静かに力強く祭神にかけて、例祭は終わった。

「お供えしたお神酒や神饌をおろしていただく直会(なおらい)がありますのでどうぞ会場へ」と見物のわたしたちにもお声をかけていただいたが、どうもそんな気にならず、裏手にある神田へ行って揺れる稲穂を相手に写真を撮り、とんぼを追って帰ってきた。 今になってご無礼を恥じている。巫女さんや舞姫さんたちにも謝らねば。夏の強烈な太陽が照り輝く下で、なにも巫女さんたちが胸をはだけて光り乞いの狂喜乱舞をせねばならぬ理由など、どこにもないのだ。

そもそも、あめのうずめの命はストリッパーの元祖のように言われたりするが、なかなかのしっかり女神で、天孫ににぎの命のご降臨に際し、行く手に立ちはだかる赤いてらてら顔の大男を見た天照大神が、あれは誰か、確かめてくるようにと並み居る男神さんたちを差し置いてあめのうずめの命を遣わされたほど。立ちはだかっている男神さんに己が性器を見せて屈服させて身元を正すと伊勢の五十鈴川上流に住む猿田彦大神であることが判明。そのてらてら顔で行く手を照らす道祖神として、天孫の高千穂までの道案内をするために待ってくれていたのだった。猿田彦大神は無事、一行を高千穂に送り届けると、「さるめ」の称号を天孫から賜ったあめのうずめの命を伴って伊勢へ戻った。こうして華々しく「古事記」、「日本書紀」に登場した猿田彦大神だったが、この後はなぜか記紀の舞台から消えてしまう。伊勢では二神は結婚したとされている。


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              2009年2月21日~3月22日、出光美術館で開催の「小杉放庵と大観」展のチラシより  


そんな立派な女神であるというのに、あめのうずめの命ときくと、すぐに裸で楽しそうに踊る姿が浮かべるのは、この絵のせいだ。今年の春先に東京・出光美術館で開催されていた「小杉放庵と大観〜響きあう技とこころ」展でこの絵に出会った。天真爛漫に踊る姿がなんとも楽しく、たちまち魅せられてしまった。楽しいだけでない。人をひきつけてやまないなにかをこの絵は秘めていた。

作者の小杉放庵とはどういうお方か。調べてみると、日光・東照宮に隣接する二荒山神社の宮司の家に生まれているではないか。14歳の時、神主のお父さんの勧めで洋画家に弟子入りし、やがて日本洋画界の期待を担ってパリへ渡り、本場の油絵を学ぶ。時あたかもピカソやマチスが登場した頃。二人の力に圧倒されながらも、方庵はシャバンヌという画家の壁画に惹かれて行く。その構図や独特の色彩に安らぎを感じたのだという。

パリではもうひとつ、偶然目にした池大雅の、山の便利な生活を描いた「十便図」に感銘を受ける。若くして酒を好み、テニスの腕前はプロ級。空手を習い、野球のチームまで持ったこともあったという放庵だったが、余生は戦時中に疎開した赤倉で仙人のような暮らしを続けて、1964年に83歳で亡くなっている。写真に写る放庵さんはおいくつくらいなのだろうか。豪放磊落にして繊細な、しゃれたおじさんの風格がある。

佐瑠女神社によると、あめのうずめの命は「わざおぎ」(俳優)の神さんだが、「たましづめ・たまふり」(鎮魂)の元祖でもあるという。なるほど、あの絵の真髄は「たましづめ・たまふり」にあったか。絵は日本がまだ連合軍の占領下にあった1951年に、当時の日本最大のタンカー「日章丸」のために描かれ、モデルは戦後日本を元気づけてくれた「東京ブギウギ」の歌手、笠置シズコさんだった。

これも祭りの後に知ったことだが佐瑠女神社の例祭は少女マンガのポスターでもよく
知られてきたが、「十年ひと区切りということで今年はフツーのポスターに戻しました」(神職さん)とか。少女マンガではワタシのイメージにあわない。次のキャラクターを考えるなら、渡辺えり子さんあたりか。あ、いかぬ。またあの絵がチラツキはじめたようだ。


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        白着物の襟元もきつくお召しになった、舞姫さんのお神楽、豊栄の舞

 
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       後日、神職さんに伺ったところ、これは神社の神事ではなく八雲琴の同好会による演奏と踊りの奉納だとか


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          最後に祭神様にウワーオッ!とお声をおかけして、例祭は終了





 

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mimosusor

Author:mimosusor
伊勢に生まれながら小さいときから都会大好き。中学校を終えると、ひとりで大阪の学校へ進み、その後は東京で就職。しかし、日本最大の都会にも物足らず、世界の大都会ニューヨークへ。あぁ、ここぞ探していたわが棲み処、もう動くまいと感涙にむせびながら腰を下ろしてから十余年。

仕事で一時帰国していたとき帰郷したのが事の始まりというか終わりというか、「ニューヨークへ帰るの、やめた。伊勢に住む!」となりにけり。

そのわけ?なんたって伊勢神宮ですよ。何十年ぶりかで訪れた伊勢神宮をひとめ見るや打ちのめされてしまったのです。なにが、なにに、なにしたのか。その顛末はブログをどうぞ。

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