Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://mimosuso.blog24.fc2.com/tb.php/21-00c4c575

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

19. 1959年9月26日

 

18-ご安泰2 
神宮司庁発行「瑞垣」34号、伊勢湾台風災害特集号より   周りの巨木はなぎ倒されたが伊勢神宮内宮ご正殿はご無事 

50年前の、昭和34(1959)年9月26日夕方、最大瞬間風速60メートルというすさまじい暴風が伊勢神宮の森へ侵入、第一鳥居から神楽殿へいたる森の大木をなぎ倒し、引き裂き、枝をねじ切ると猛スピードで駆け抜けた。伊勢湾沿岸を中心に死者、行方不明者5千98人、家屋の全半壊15万4千棟という大災害をもたらした伊勢湾台風である。

一夜明けた神宮では、神職さんたちが惨状に息をのみながら、倒れた木々を乗り越え、枝をくぐり、ご正殿へ急いだ。第一鳥居をくぐって神楽殿へ至る参道両側のうっそうとした森は壊滅的だったが、そこを過ぎると倒木が徐々に少なくなっていき、そして、嗚呼…ありがたやご本殿はご安泰にあらせられた。思わず、安堵し平伏した様子が、台風翌月に発行された神宮司庁の「瑞垣」誌の伊勢湾台風災害特集号や信奉者のブログに切々と記されている。

内宮神域の地形は中央を尾根が走る。台風の中心はその西側を通過したため、風はまず東から吹き込み、次に南から西へとまわった。そのため、風表の南側は強い南風を受けて大木が将棋倒しになったが、風裏になった西の被害は極めて少く済んだのである。また、内宮さんだけでなく外宮さんや別宮などの社殿の損傷が少なかったのは第59回のご遷宮が敗戦を受けて昭和28年に延期されたため、どの社殿も建て替えられてから6年しか経っていなかったことも幸いしたのだろう。


神宮の神域とそれに続く山々の総面積は5,400ヘクタール余、世田谷区に相当する。それだけに被害木はざっと見積もっても十万本は下らないといわれるが正確なところはわかっていない。ご鎮座以来の大自然災害という緊急下にあって、まずは職員や山林伐採業者、地元はもとより全国各地から続々とかけつけた奉仕者が総出で、神域と参道の整理にあたった。参道を埋めつくす、もつれ乱れて幾重にも重なる倒木の枝を掃い切断して運び出すことが急務であり、倒木の事前調査をいしている暇などなかったのだ。おかげで一週間後の10月4日には一般参拝ができるまでに復旧した。神域とお山から運び出した造材丸太は延べ87,976立方メートルに及ぶという。それがどのくらいになるのか見当もつかないが、すべての被害木の搬出を終了するまでにこの後4年の歳月を要したと聞いて被害の大きさに改めて驚いた。

こうした非常事態下でも、古代から続く一日二度の神さんの食事はいつも通りに朝夕に用意され、台風一過の4日後には、間近に迫った神嘗祭へ向けての神職さんたちの大祓式も予定通りに行われた。その写真を拝見すると、五十鈴川に面した祓所にずらり勢ぞろいした神職さんたちの背景には倒木の山が続いている。こうして10月15日には、神宮最大のお祭りである神嘗祭が無事に催行された。

かっては鬱蒼として昼でも暗くて怖かったという外宮さんの森の被害も大きく、ご無事だったご正殿のたたずまいが外からはっきりと見えるほどになったという。 50年後の今はこのように(写真下)大木に囲まれて、うれしいというか残念というか、ご正殿はまたお隠れになってしまった。

18-IMG_0638.jpg 


伊勢湾台風50周年を迎えて東海地方では周年行事が盛んだ。伊勢神宮の深い森はどんなだったか、ふと思いついて被害を調べ始めたのだが、台風被害の記録や記事の大部分は3千人を超える死者・行方不明者を出した愛知県のものが多く、伊勢神宮の情報や統計は神宮司庁発行の「瑞垣」誌の伊勢湾台風災害特集号(昭和34年12月発行)と同じく神宮司庁編集・発行の「神宮・百年史」に頼るしかなかった。

それにしても、伊勢湾台風の愛知県の被害写真はあまりに生々しく、目をおおいたくなるほど悲惨だった。浸水した家屋の屋根や二階の窓辺で救助を待つ家族の目の前を筏に乗せられた遺体がボートで曳かれていく。遺体に無造作にかけられたビニールシートから足がむきだしのまま伸びる。目の前の、それも手が届くほど近くを遺体が運ばれていくというのに、屋根や窓辺で救助を待つひとびとは、まるでいつもの見慣れた風景であるかのように無関心な様子で壊れた窓枠に寄りかかって、見ているような見ていないような――。 心ここにあらずなのだ。その様子に胸をえぐられた。

愛知県の水没や冠水地区は広い範囲にわたったが、県の救命艇は4隻しかなかったため、遺体収容が優先されて、救助を待つひとびとは後回し。いつ助けてもらえるのか。救助を待つひとびとは目の前を曳かれていく遺体を呆然とながめるしか、なす術がなかったのだ。その後、ひどいところでは水が引くまでに三ヶ月もかかったという。日本社会が高度成長に入っていたときとはとても思えぬ、自然災害の大きすぎる爪痕だった。
 

 

 

 

 

 

スポンサーサイト
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://mimosuso.blog24.fc2.com/tb.php/21-00c4c575

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

Appendix

プロフィール

mimosusor

Author:mimosusor
伊勢に生まれながら小さいときから都会大好き。中学校を終えると、ひとりで大阪の学校へ進み、その後は東京で就職。しかし、日本最大の都会にも物足らず、世界の大都会ニューヨークへ。あぁ、ここぞ探していたわが棲み処、もう動くまいと感涙にむせびながら腰を下ろしてから十余年。

仕事で一時帰国していたとき帰郷したのが事の始まりというか終わりというか、「ニューヨークへ帰るの、やめた。伊勢に住む!」となりにけり。

そのわけ?なんたって伊勢神宮ですよ。何十年ぶりかで訪れた伊勢神宮をひとめ見るや打ちのめされてしまったのです。なにが、なにに、なにしたのか。その顛末はブログをどうぞ。

最新トラックバック

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。