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20. 神宮を読む

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秋の夜長。気が向いて棚にツン読かれた伊勢神宮の本を取り出した。読んでいくうちにおもしろくなってきた。夜更けまで夢中になって読んだ。その翌日もまた読んだ。その翌日も、またその翌日も。時々、古事記や日本書紀(勿論、現代語版です)を開いて神々の由来や出来事を確めたり、読み飛ばしたり戻ったりしながら、読み終えた。読めるじゃないの、少しはわかるじゃないの。うれしくなって、また別の本を取り出した。

三年前、伊勢神宮のことが知りたくて、「伊勢神宮」と名のつく本を買い込んで途方に暮れていた。読めない、わからないのだ。この本が悪いのだとまた買う。またわからない。せめて
字だけでも目で追っていればわかるようになるだろうと試みるが、その字が読めないのだからなにをかいわんや。やがて、こっくりこっくり、ぐ~ぐ~。この繰り返しばかり。今、なんとか最後まで読めるようになったのは、そこに登場する神々の背景や社殿がイメージできるようになり、神宮用語にも慣れたおかげだろう。決して、神宮についての理解や知識が深まったわけではない。つまり英語の基礎文法と必要最小限の単語を覚えたのでアイ・アム・ア・ガール、ユウ・アー・ア・ボーイをなんとか言えるようになったというところか、それも三年もかかってだ。英語よりも難しいではないの、まったく。

そんなワタシに伊勢神宮を読む喜びを与えてくれたのは川添登さんの「伊勢神宮~森と平和の神殿」だった。ハードカバーで堂々371ページにもわたる大著である。伊勢神宮の古代から中世、近世、近代までを、ここまで言い切ってしまっていいのと心配してしまうほど小気味よく切りさばいてくれる。伊勢神宮を、なぜ五十鈴川の川上の辺鄙な湿地帯の、それも大山中にまるで隠すかのように作ったのか――。それを解く鍵は古代最大の内乱、壬申の乱にあるという。川添氏は、この乱を古代律令国家を成立させた軍事革命であると位置づけ、明治維新を近代革命とするなら、壬申の乱は古代律令国家を成立させた古代革命であったと言い切る。そして、この革命を成功へと導いた原動力となったのが伊勢の神宮だというのだ。ちょっと唐突な感じをうけるが、その論拠は明快で説得力に富む。

そんなわけで壬申の乱の章になると氏の筆力も一段と増して、臨場感たっぷりに文章が踊る。こっちっも秋の夜長、胸躍らせながらページを繰った。忘れかけていた読書の愉しみを久しぶりに味わわせてもらった。

今年81歳になられたという川添氏は最後に、伊勢神宮について「書かなければならない多くのことがらを残している」ので、続編「革命のユートピア」の執筆にとりかかることを予告されている。「ともかく倒れて後やむ、というのが今の心境である」そうだ。この迫力、この熱情。伊勢神宮の本が読めるようになるまでに三年もかかったなぞとぼやいている暇はないのだ。

神宮研究者諸氏の伊勢神宮考をバサバサ切っていく川添氏の考察を読んで、そうか太古の伊勢神宮の鎮座の真実など、神のみぞ知ることなのだと目からポロリと鱗が落ちた。そうなると、川添氏に切られた学者諸氏の説が読みたくなってきた。



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神宮文庫


かってのようにツン読だけの本を買い込まずとも、わが家から歩いていける距離に神道関係ではニッポン最大の「神宮文庫」があり、週のうち三日は一般公開をされているというので、行ってみると閲覧室は鎮まりかえり、専門家らしい方がひとり、ふたり、静かに古書をめくるのみ。アイ・アム・ア・ガールにはは敷居が高い。 
 
伊勢神宮の文庫の歴史は古い。内宮には奈良朝以前にすでに文殿があり、外宮にも鎌倉時代には神庫があったことが記録に残されている。どちらも神書記録の収蔵が目的であり、現在の神宮文庫の基盤となったのは江戸時代に設立された外宮の豊宮崎文庫と内宮の林崎文庫だそうだ。

外宮の豊宮崎文庫の成り立ちがおもしろい。慶安元年(1648年)に外宮権禰宜らが神職やその子弟の修学所の設立を呼びかけ、それに賛同した70人の神職が金一両ずつを出し合い、外宮に近い豊宮崎の地に「豊宮崎文庫」をつくる。公家や学者などから本の寄贈が相次ぎ、二万冊以上の書籍は「積んで庫に満るに至った」jほどだという。運営も有志が行い、奉行の仲介で幕府からは永代修繕料の寄進をうけるなど先進的な試みだ。学びの場としても、当時の著名学者が講義に加わり、図書館史上に稀な存在であったとされている。明治時代には文庫内に正式な学校をつくり、やがて小学部と中学部に分けて、中学部は当時まだ珍しかった外国語学校とし。英国人教師もいたがどうしたことか一年で廃校となっている。その後、火災で講堂を焼失。幸いにも数多い蔵書は伊勢神宮に奉納されいたので、今も神宮文庫に残る。

かっては市内有数の桜の名所としても知られていた文庫跡だが、今はこの通り。(写真下)。かろうじて残るねり塀と門は触れなば落ちなん、という有様で胸が痛む。 伊勢市の担当部署に保存の現状と今後の計画を問い合わせたが「調べてご連絡します」というだけでなんの連絡もない。

  

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旧豊宮崎文庫


一方、外宮の豊宮崎文庫に50年ほど遅れて創立された内宮の「林崎文庫」は手入れをされて今も立派に残る。貞享三年(1686年)に創設された内宮文庫を元禄三年(1690年)に「林崎文庫」として復興させたが、百年後には荒れ果ててしまった。内宮の禰宜が大幅な修復運動に立ち上がり、講堂や塾舎を整備して講習研鑽の場とし、全国に書籍の寄贈を呼びかけた。伊勢国松阪出身の本居宣長も大きな貢献をしたことから、庭内に碑が残る。明治六年(1873年)には神宮の所管となったが、その後の「神宮文庫」新設にともない、蔵書はすべて移管されたため内部には何も残っていないが年に何回か一般公開される。


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林崎文庫


伊勢市内にはこの他、皇學館大学の立派な図書館に伊勢神宮関係の書籍や資料が揃っており、一般のひとびとも利用させてもらえる。書籍の多くは五階建てのフロア書架に並んでいるのだが、慣れないと分類がわからずうろうろ。時にはフロアが違って階段を上ったり下りたりすることも。やっと本を見つけて書庫内の机に向かうとご本大事の空調がきつくて、ニンゲン様にはちょっと辛い。

そこで、もっぱら通っているのが伊勢市立図書館。ここの、「ふるさと文庫」には伊勢神宮関係の書籍や資料が揃っている。本もだいたいが書棚に並んでいるので気兼ねなく出したり入れたりできる。机と椅子の具合もなかなかよろしく中学生が机に広げたノートの上でぐっすりお休みになっていたり、おじいさんが町内地図をぶつぶつ言いながら拡大鏡で眺めていたりするので、こっちも疲れたときは気兼ねなく、こっくりこっくり。
今では居眠りは伊勢神宮の本を読むときになくてはならない潤滑油になっている。もっとも、時々ちょっとがよろしいかと。

 



 

 

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mimosusor

Author:mimosusor
伊勢に生まれながら小さいときから都会大好き。中学校を終えると、ひとりで大阪の学校へ進み、その後は東京で就職。しかし、日本最大の都会にも物足らず、世界の大都会ニューヨークへ。あぁ、ここぞ探していたわが棲み処、もう動くまいと感涙にむせびながら腰を下ろしてから十余年。

仕事で一時帰国していたとき帰郷したのが事の始まりというか終わりというか、「ニューヨークへ帰るの、やめた。伊勢に住む!」となりにけり。

そのわけ?なんたって伊勢神宮ですよ。何十年ぶりかで訪れた伊勢神宮をひとめ見るや打ちのめされてしまったのです。なにが、なにに、なにしたのか。その顛末はブログをどうぞ。

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