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28. 塩の道


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                                       荒塩を焼き固める御塩殿

6月の晴れた日、伊勢神宮の塩をつくっている御塩浜と御塩殿神社を見るために二見へ出かけた。

「その先の国道を右へまっすぐ進むと川に突き当たりますから、そこを右折して堤沿いに歩いていくと御塩浜です。えっ、車じゃないんですか?歩き慣れておられる?それならまあ大丈夫でしょう。御塩浜を右へ出てそのまま東へ進むとずっと先の左手前方に松林が見えてきます。そこが御塩殿神社です。わからなくなったら電話をください。迎えに行ってあげますよ、ハツハッハッ」

観光案内所のおじさんの案内通りに国道を歩き始めたが、歩いても歩いても川は見えてこない。太陽がじりじり照りつけて足取りは鈍り、カメラが重い。まだ川は見えない。ずうっと先を見渡しても見えるのは殺風景な国道風景だけ。堤が見えてきたときはどんなにうれしかったことか。やっと到着!よろけながら堤を駆け上ると目の前に大海原のような川が広がった。五十鈴川だという。伊勢神宮の宇治橋の下をさらさらと流れる優しい五十鈴川とはなんという違いか。驚きと疲れとでそのまま堤にへたりこんでしまった。

18-IMG_3486.jpg 

                  前に五十鈴川、後ろには御塩浜

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御塩浜はご覧の通りで鳥居がなければ田圃と間違いそうだが、細かい砂が敷き詰められた塩の田圃だ。夏が近づくと草を抜いて清掃しl塩づくりに備える。一年で最も暑い土用がやってくると満潮時に溝の門を閉じて淡水の混じった海水を引き込んで砂を浸し、干潮時に門を開じて水を抜いて砂を乾燥させる。これを一週間ほど繰り返す。

菅笠に白衣姿の男たちが鍬のような道具で砂をならし、撒き散らしているのが伊勢神宮の写真などで紹介されているが、塩のついた砂を撒いて、よく混ぜてむらなく伸ばして天日に当てているのだ。炎天下でこれを繰り返すと塩の結晶が陽の光りにキラキラ輝いてくる。それを寄せて、沼井とよばれる穴に集めて海水をかけて塩を流し取ると高濃縮度の塩水ができる。所定の量を四斗樽につめて1キロほど離れた御塩殿神社の御塩汲入所へ運び、隣の御塩焼所の大釜で一昼夜をかけて焚くと荒塩になる。平均で3~4俵とれた荒塩をいったん御塩殿神社裏の塩倉に貯蔵。10月の御塩殿祭で自然の恵みに感謝し、塩づくりの発展を祈ってから、三角形の土器に荒塩を詰めて焼き固める。 焼き固めは3月にも行われ、合計200個の固塩が作られる。

9-塩の道汗の結晶でもある、ありがたい御塩は辛櫃に詰められて榊をもった白装束の運び人によって外宮まで8キロの道のりを徒歩で運ばれた。通る道は葬式などで穢れていない特定の小道が決められており、「御塩道」とよばれた。途中の休憩場所も伊勢市内の橘神社の石の上と決められていた。

伊勢神宮では固塩を細かく砕いて年間1500以上も行われるおまつりに使っている。

この御塩運びは実に1958年(昭和33年)まで続けられ、伊勢のひとたちは出会うと立ち止まって一礼をするのが慣わしだったという。   

海ではなく五十鈴川河口に塩田があるのは、海水と淡水が混じった汽水のほうがキメ細かな良質の塩ができるためだ。自然相手の大変な作業だが潮の干満を利用することで海水を汲上げて撒く作業が軽減されるため、この入浜式の製塩方法が長らく日本の塩づくりを支えてきたが、今は二見に残るだけとなった。二見周辺は塩づくりが盛んなところで、伊勢神宮が鎮座して以来、塩つくりは二見のひとびとの奉仕で行われてきており、今も継承されている。                 
                              *

この後、御塩浜を出てから御塩殿神社までたどり着くのが、またまたひと苦労だった。「前方左手に見える松林をめどにまっすぐ」と案内されたが、くねくねした田圃道ばかりでどっちが「まっすぐな道」か。目印の森や松林もあっちこっちに点在する。田圃で働くひとをみかけては尋ねるのだがどの答えは明快にして意味不明瞭。あっちの森へ進むとお墓、こっちの森は畑…。二見の人はなぜこうも説明下手なのかとうらんでみたが、考えてみれば説明のしようがないのだ。

ただ、御塩浜へ向かって国道を歩いたときと違って田圃道には迷子の愉しみがあった。苗色の広がる田圃で餌をついばむサギ、朽ちた小屋、田圃に水を吐き出しているポンプ。頭のないお地蔵さんまであった。写真を撮りたくなる光景がそこここにひろがっていた。しかし…もうクタクタ。どこかの道に出たら案内所のおじさんにSOSを発信して迎えを頼もう。神社はまた今度だと決めて歩き出したときだ、ヤヤッ向こうに見えるのはまさか…「御塩殿神社」と書かれた大きな碑だった。

社殿はなく社だけの神社だったが青紅葉が映えて美しかった。そこから裏手へ通じる道を進むと海へつながる松林だった。

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陽も傾きはじめ、松林の木々が浜風にヒューヒューと鳴る。お能ならさしずめ、誰かの亡霊が「のうのう旅人」と現われる場面だ。神領二見は平安時代末期には平家の支配する地だったが源氏が熊野の海賊衆と結託して二見を制圧、やがて伊勢へと攻め込むが平家が放った矢が海賊の首領に命中して敗走したと伝えられる。海賊の首領がうらみつらみで成仏できずに現われるか。松ぼっくりのころがる砂地を怖さとうれしさでぞくぞくしながら進んだ。

御塩汲入所と御塩焼所の建物があらわれたときはわが目を疑った。これは夢か幻か。目眩がしそうでカメラもバッグも投げ捨てて近くの松の木にもたれた。 源氏と平家の戦いどころではない。時代は一気に古代の縄文時代に遡ったようだ。 

18-IMG_3600.jpg 
                    御塩焼所(左)と塩水貯蔵庫の汲入所(右)   

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浜風が冷たくなってきた。もう帰らねばとバッグを持ってはまた降ろすを繰り返してから、振り返り振り返り小道へ赴いた。

古代の幻にぼうっとなりながら観光案内所に寄ると、「おっ、よう帰ってきたな!」とおじさんが迎えてくれた。「電話がかかってくるのを今か今かと待っとったけど、よう歩いたなぁ」と賞賛してくれているようでもあり呆れているようでもあり。携帯電話の歩数計を見ると歩数は2万歩、歩いた距離は11キロを越えていた。塩殿神社から外宮までの塩の道は8キロと聞いて、「バカみたい、そっちを歩けばよかった」とぼやきながら、しかし心は満ち足りていた。






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mimosusor

Author:mimosusor
伊勢に生まれながら小さいときから都会大好き。中学校を終えると、ひとりで大阪の学校へ進み、その後は東京で就職。しかし、日本最大の都会にも物足らず、世界の大都会ニューヨークへ。あぁ、ここぞ探していたわが棲み処、もう動くまいと感涙にむせびながら腰を下ろしてから十余年。

仕事で一時帰国していたとき帰郷したのが事の始まりというか終わりというか、「ニューヨークへ帰るの、やめた。伊勢に住む!」となりにけり。

そのわけ?なんたって伊勢神宮ですよ。何十年ぶりかで訪れた伊勢神宮をひとめ見るや打ちのめされてしまったのです。なにが、なにに、なにしたのか。その顛末はブログをどうぞ。

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