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[C7] Re: 管理人さん、こんにちは。

> 何故、内宮と外宮は離れた場所にあるのか?地元で伝承されている事などお聞きしたいです。
>
> 地元の人はあまり外宮には参拝しないのか?

こんにちわ。どちらも私見ですがお答えします。長くなりますよ、ご覚悟を。

伊勢の神宮は内宮・外宮のほかにも伊勢周辺に123社あります。その総称が伊勢神宮、正式には「神宮」です。このブログの第一話を参照に、と書こうとして確認したらリスティングから消えてますね。気がつきませんでした。内宮・外宮が本家で他は分家です。本家がなぜ2つもあるのか?

皇室の祖神であり、日本民族の総氏神である天照大神をおまつりするために1300年前に創られたのが皇大神宮(内宮)とされています。創建から500年ほど経ったとき、時の天皇の夢枕に天照大神が立ち、「同じところにずっといるのは甚だ苦しい。それに食事も安らかにとれないので丹波にいる食物神を伊勢に迎えてほしい」と告げられた(といわれています)。これは地元の伝承ではなく、「日本書紀」、「古事記」、それに神宮の記録に記されています。そこで立派な神殿を建てて丹波の食物神「豊受大神」をお迎えしたのが豊受大神宮(外宮)です。まさか、遠くから天照大神ご指定の神をお迎えするのに内宮の片隅へというわけにはいかなでしょう(これは私見)。以来、一日二度の食事は外宮で用意され、天照大神も外宮で豊受大神やそのほかの神々と一緒に安らかに召し上がっておられる、というわけです。

食物神(=産業の神)をお迎えしたのは天照大神さんのなすべきことが多すぎるので大切な産業の神の役割を豊受大神にゆだねるため、という説もあります。ひとりでなさねばならぬ国づくり国おさめの役割を分業したのですから、どちらもご本家です。残りの123社は分家や縁戚です。

こう答えられるとまたふつふつと疑問・質問がわいてくるでしょう。それこそ、ワタシが伊勢に住みついてしまった理由です。神話の神をおまつりしている宮ゆえ、虚々実々、神秘が増すのでしょう。

これで2つ目の質問もおわかりかと。日本の総氏神さんがたまたま(ではないのですが、書けばキリなし)伊勢に鎮座されているわけで、よって伊勢の地元の神さんではなく、日本の神さんです。それを伊勢のひとたちが大事におまつりしているというわけですから、ここのところをお間違えなく。

伊勢のひとたちは外宮も内宮もお参りしますが、日本の総氏神さんがいるのは内宮ですからどちらかへとなれば内宮へ行くでしょう。ちなみに昨年1月の初参りは内宮155万人、外宮60万人です。都市部にあるわけではないですから明治神宮や熱田神宮に比べれば数字はひくいです。よって新年には皇室から、首相以下大臣一行が国の繁栄を祈りに参拝します。

また、3月末や4月には新年度の商売繁盛を祈願しに企業の団体が産業の神さんのいる外宮へよく参拝されます。これも伊勢だけでなく各地からです。

伊勢神宮にご興味おありなら、是非お越しを。そこに立ってみなければエッセンスはわかりません。基礎知識をもって、ひとりで、早朝に3日くらい通って、そこに身を置いてみてください。基礎知識を得る入門書は「伊勢神宮」(所功)講談社学術文庫をお薦めします。ただし、最初はチンプンカンプンでしょう。めげずにどうぞ。

ご質問ありがとうございました。




  • 2010-10-24 16:16
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32. 龍神伝説

 18-IMG_1438.jpg 
伊勢・松尾観音寺の手水舎

伊勢神宮の図書館、神宮文庫前のくねくねと曲がる細い坂を進んでいくと、龍神様で知られる「松尾の観音さん」が見えてくる。正式名は龍池山・松尾観音寺。奈良時代はじめの712年に、伊勢参宮にやってきた当時の高僧「行基」がここに雌雄の龍が棲むと伝わる池があることを知り、そのほとりで自ら観音様を刻んで寺を創建した。

それ以来、本山も末寺も檀家も持たず、どの宗派にも属さず、龍神さんに守られた厄除け祈願寺として今に至っている。本堂裏に東西二つの池があり、東に雄龍、西に雌龍が棲むと言われてきた。地元ではよく知られた寺だったが、後に龍神伝説が生まれてからというもの、遠方からもたくさんのひとが訪れるようになった。このおばあさん、なにをお願いしているのでしょうか、このようにして長い間、お地蔵さんを拝んでいた。

18-IMG_1527.jpg  

龍神伝説が生まれたのは寺ができてから700年後の応永10年(1403年)5月のこと。本堂から出火したが、山中のことゆえ、ひとびとが駆けつけたときは火は本堂の床を焼き、柱を上り、天井を這いはじめていた。なんとか観音様を運び出さねばと焦るばかりで、なす術もなくみんな、おろおろ。そのとき、燃え盛る炎の中にふたつの黒い影が浮かび上がった。
雄龍が長い体をご本尊の十一面観世音菩薩に幾重にも巻き付けて襲ってくる炎を飲み込み、雌龍が池の水を炎に吹きかけて火勢を削いで、しっかと観音様を護ってくれていた。

11-IMG_1472.jpg炎に包まれても無事だったご本尊は厄除け観音としての名声が高まり、初午には参拝者で賑わう。また、雌雄の龍神が共に力を合わせて観音様を守ったことから「縁結び」祈願にやってくるひとたちも増えた。禍転じて福となす、とはこのことか。寺では毎月末に「二ツ池」(龍池)へお供えをして、お礼参りを続けている。

それから600年近く。今また新たな龍神伝説が生まれた。8年ほど前に本堂の床板を張り替えたところ、2,3年経った頃から、参拝者たちが「ろうそく台座の床になにかがいる」と言いはじめた。

そう言われればなにかの顔に見えなくもないという程度だったのが、「縁起がいい」、「幸せを招く」などと参拝者が撫でたり、触ったりしているうちに床板の色が濃くなり、節が目となり鼻となり、背中の鱗もつながって輪郭がくっきり。なんと拳大の龍が現れたではないか。 

「なぜ床に龍が?」と不思議がるひとに、明るく気さくな住職さんは「さまざまな問題を抱えた現代社会において、しっかり足元を見よということでしょう」と説いている。

伊勢では古来から男も女も厄年に関係なく、3月に入って初めての午(うま)の日を、年に一度の厄災祓いの日として観音さんにお参りする風習がある。その帰りに身につけているなにかを境内に落としてくると一年の厄が落とせるともいわれる。ハンカチを落としていくひとが多いそうだが、決して振り返ってはならない。

毎月18日の縁日には有志のみなさんによる観音市が開かれ、とれたての野菜や季節の花々、手作りの品々などが境内に並ぶ。伊勢神宮の内宮と外宮の真ん中あたり、神宮文庫をちょっと奥に入った辺りなので、伊勢参りに来られた方は松尾観音寺で床の龍神様に対面して、厄落しをされてはいかがか。その時は落し物をすることを忘れずに。あるいは縁結びをお願いするのもよろしいかと。


18-IMG_1371.jpg



18-IMG_1355.jpg  






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[C7] Re: 管理人さん、こんにちは。

> 何故、内宮と外宮は離れた場所にあるのか?地元で伝承されている事などお聞きしたいです。
>
> 地元の人はあまり外宮には参拝しないのか?

こんにちわ。どちらも私見ですがお答えします。長くなりますよ、ご覚悟を。

伊勢の神宮は内宮・外宮のほかにも伊勢周辺に123社あります。その総称が伊勢神宮、正式には「神宮」です。このブログの第一話を参照に、と書こうとして確認したらリスティングから消えてますね。気がつきませんでした。内宮・外宮が本家で他は分家です。本家がなぜ2つもあるのか?

皇室の祖神であり、日本民族の総氏神である天照大神をおまつりするために1300年前に創られたのが皇大神宮(内宮)とされています。創建から500年ほど経ったとき、時の天皇の夢枕に天照大神が立ち、「同じところにずっといるのは甚だ苦しい。それに食事も安らかにとれないので丹波にいる食物神を伊勢に迎えてほしい」と告げられた(といわれています)。これは地元の伝承ではなく、「日本書紀」、「古事記」、それに神宮の記録に記されています。そこで立派な神殿を建てて丹波の食物神「豊受大神」をお迎えしたのが豊受大神宮(外宮)です。まさか、遠くから天照大神ご指定の神をお迎えするのに内宮の片隅へというわけにはいかなでしょう(これは私見)。以来、一日二度の食事は外宮で用意され、天照大神も外宮で豊受大神やそのほかの神々と一緒に安らかに召し上がっておられる、というわけです。

食物神(=産業の神)をお迎えしたのは天照大神さんのなすべきことが多すぎるので大切な産業の神の役割を豊受大神にゆだねるため、という説もあります。ひとりでなさねばならぬ国づくり国おさめの役割を分業したのですから、どちらもご本家です。残りの123社は分家や縁戚です。

こう答えられるとまたふつふつと疑問・質問がわいてくるでしょう。それこそ、ワタシが伊勢に住みついてしまった理由です。神話の神をおまつりしている宮ゆえ、虚々実々、神秘が増すのでしょう。

これで2つ目の質問もおわかりかと。日本の総氏神さんがたまたま(ではないのですが、書けばキリなし)伊勢に鎮座されているわけで、よって伊勢の地元の神さんではなく、日本の神さんです。それを伊勢のひとたちが大事におまつりしているというわけですから、ここのところをお間違えなく。

伊勢のひとたちは外宮も内宮もお参りしますが、日本の総氏神さんがいるのは内宮ですからどちらかへとなれば内宮へ行くでしょう。ちなみに昨年1月の初参りは内宮155万人、外宮60万人です。都市部にあるわけではないですから明治神宮や熱田神宮に比べれば数字はひくいです。よって新年には皇室から、首相以下大臣一行が国の繁栄を祈りに参拝します。

また、3月末や4月には新年度の商売繁盛を祈願しに企業の団体が産業の神さんのいる外宮へよく参拝されます。これも伊勢だけでなく各地からです。

伊勢神宮にご興味おありなら、是非お越しを。そこに立ってみなければエッセンスはわかりません。基礎知識をもって、ひとりで、早朝に3日くらい通って、そこに身を置いてみてください。基礎知識を得る入門書は「伊勢神宮」(所功)講談社学術文庫をお薦めします。ただし、最初はチンプンカンプンでしょう。めげずにどうぞ。

ご質問ありがとうございました。




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Author:mimosusor
伊勢に生まれながら小さいときから都会大好き。中学校を終えると、ひとりで大阪の学校へ進み、その後は東京で就職。しかし、日本最大の都会にも物足らず、世界の大都会ニューヨークへ。あぁ、ここぞ探していたわが棲み処、もう動くまいと感涙にむせびながら腰を下ろしてから十余年。

仕事で一時帰国していたとき帰郷したのが事の始まりというか終わりというか、「ニューヨークへ帰るの、やめた。伊勢に住む!」となりにけり。

そのわけ?なんたって伊勢神宮ですよ。何十年ぶりかで訪れた伊勢神宮をひとめ見るや打ちのめされてしまったのです。なにが、なにに、なにしたのか。その顛末はブログをどうぞ。

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